2026年6月、日が暮れた新宿伊勢丹の立体駐車場には、いつもと違う時間が流れていた。そこにあったのは、ラグジュアリーカーブランド『BENTLEY(ベントレー)』 の招待制イベントと聞いて想像するような、緊張を伴う華やかさではなかった。上質でありながら、肩肘を張らなくていい。格式を誇示するのではなく、クルマを愛する人同士が自然に混ざり合う。都会の真ん中に現れた、大人のためのカーミーティング「Cars & Coffee」だった。

◆ブランドではなく、人が集まった夜
この夜、日本で初めて披露されたのが、ベントレー『コンチネンタル スーパースポーツ』だ。
2026年1月に公開された映像作品「SUPERSPORTS:FULL SEND」では、ラリードライバーのトラヴィス・パストラーナが、英国・ベントレー本社工場を舞台に豪快なドリフトを披露し、大きな話題となった。「199」を鼻先に掲げたスーパースポーツが、他のベントレー車両の横をかすめるたびに心臓がバクバクする。その撮影用の特別仕様車がアンベールされると、会場からは大きな歓声が上がった。

しかし、この夜の主役は一台のベントレーだけではなかった。年代も生まれた国も異なるクラシックカーやスーパーカー、ストリートの空気をまとったカスタムカーまで、多彩なクルマが並ぶ。ブランドも年代もジャンルも違う。DJが流す音楽に合わせて、始まりかけた夏の夜が踊り、クルマから着想を得たオリジナルカクテルや、ベントレーグリーンの抹茶ドリンクを片手に、人々は自然に会話を交わし、それぞれの時間を楽しんでいた。

ベントレーにとっても、この試みは新しい挑戦だった。従来の顧客だけでなく、これまでブランドと接点のなかった若い世代や異なるカルチャーの人たちにも門戸を開く。完成された世界観を一方的に見せるのではなく、自らコミュニティへ歩み寄る。

イベント後、SNSに並んだ言葉からも、この場が歓迎されていたことが伝わってきた。実際、このイベントを手掛けた1人、Luke Huxham(ルーク・ハクスハム)も、参加者から寄せられた反応についてこう語った。「どんなクルマでも持って来ることができて、友達と会って、ただ一緒に過ごせた。それをみんなが喜んでくれた。嬉しかったよ」。

Lukeは「クルマはとてもエモーショナルなものだから」と話す。ひとりで所有しているだけでも楽しい。けれど、人と出会い、思いを共有し、新しい記憶が重なったとき、その楽しさは何倍にも膨らんでいく。だからこそ、その感情を中心にイベントを考えたい。イベントの空気には、そんな思想が流れていた。

このイベントの実現には、ベントレーのエクスターナル・クリエイティブディレクターを務める生沢舞(いくざわ・まい)さんの存在も大きい。「こんなことをしたら面白いかも、もっと若い人にも楽しんでもらえるのでは?」。ブランドの内側から生まれたそのアイデアを受け取り、会場の空気、人の流れ、音楽、光まで含めて一つの体験へと組み上げていったのが、Lukeと彼の仲間たちだった。
ところが、イベントを終えたLukeに感想を尋ねると、返ってきたのは意外なひと言だった。「僕はね、イベントは好きじゃないんだ」。思わず聞き返すと、彼は笑いながら続けた。
「イベントに行くのは好きだよ。みんなが友達と会って、楽しい時間を過ごして、一緒にクルマを見る。それは大好き。でも、イベントをオーガナイズすること自体は好きじゃない」。この言葉の真意が分かったのは、彼が20年間見てきた日本のクルマ文化について語り始めてからだった。
◆「Ideas first.」イベントは、目的じゃない

Luke Huxhamはニュージーランド出身で、日本で20年以上暮らしている。日本のクルマ文化を愛し、その変化を近くで見続けてきた1人でもある。若い頃から、限られた予算の中で中古車を買い、壊れたら修理して、カスタムにお金をかけ、仲間と走る。それをずっと楽しんできた。
イベントプロデュースだけではなく、映像ディレクターを軸に、彼の活動は多岐にわたる。しかし、元々クリエイティブの世界にいたわけではない。最初に携わっていたのはIT業界だった。まだウェブサイトをひとつずつコードで組み上げていた時代、SEOを通じ、人が何を求め、何に興味を示すのかを分析していた。
「昔から、人が何を好きなのか、何を欲しがっているか、何が足りないと感じているか、そういうことばかり考えてきたんだ」

「Ideas first.」──アイデアそのものに価値を置く。それは、イベントも、映像も、ブランドプロデュースも、彼が手掛けるすべての仕事に共通する、ひとつの揺るがない原則だった。
Lukeにとってイベントとは、そのアイデアの表現手段にすぎない。だから、イベントそのものが目的になった瞬間、興味を失ってしまうという。そして、残念ながら日本では、その傾向が多いかもしれない、と彼は話す。

「何か新しいことをやると、みんなコピーする。でもそれでいい。僕はまた次のアイデアを考えるだけだから」。アイデアが広がったなら、その役目は終わったということ。誰かがその続きを担ってくれるなら、自分はまた次の足りないものを探せばいい。
とはいえ、新しいアイデアを生み出すことと、流行を生み出すこととは少し違うと彼はいう。「一番強いアイデアって、水みたいなものなんだと思う」。そう言った彼の目の奥が光った。
「流行のフレーバーを付ければ、最初は売れるかもしれない。でも流行が終われば、それも終わる。でも水は違う。いつの時代でもずっと必要とされるでしょう」
シンプルだからこそ、長く残る。人が本当に求めているものは、時代が変わっても大きくは変わらない。彼が探し続けているのは流行ではなく、その”本質”だった。

だからこそ、イベントが一つのジャンルやブランドの中だけで完結してしまったり、型にはまってしまうことには、少しもどかしさを感じている。
「カーカルチャーは、クルマだけじゃない。デザインであり、アートであり、音楽であり、ファッションでもある。全部がつながっているんだ」

もっと自由でいい。もっと混ざり合っていい。その考えが、今回のイベントによく表れていた。どんなクルマでもいい、まずは来てほしい、楽しい時間を過ごしてほしい。ブランドを好きになる理由も、そのあとについてくる。
Lukeの視線は、次の世代にも向けられていた。今は中古車しか買えなくてもいい。ブランドとの関係は、購入ではなく、好きになる瞬間から始まる。

「20年前の僕たちが、今のお客さんなんだ」そう語る彼にとって、現在ベントレーへ興味を持ち始めた若い世代は、かつて中古車を買っていじっていた自分自身と重なる存在でもある。
彼は、老若男女問わず、人が集まる理由や、人が笑顔になる体験そのものに本質的な価値を見出している。そして彼にとってイベントは、そのアイデアを表現しているにすぎない。
◆「I'm just the amplifier.」日本のクルマ文化と向き合った20年

話も終盤に差しかかった頃、Lukeにこう尋ねた。「もし、自分に肩書きをつけるとしたら、何と呼びますか?」 少し考えた後に、彼はまずこう答えた。
「コンサルタントではないね」。コンサルタントは、提案だけして終わることができる。うまくいかなくても、その文化の外側にいられる。でも自分は違う、と彼は首を横に振った。
「僕が変なことをしたら、友達が『あれは良くなかった』って言ってくれる。僕自身が、そのカルチャーの中にいるから」。だから責任がある。文化の外から評論するのではなく、その中で一緒に考え、一緒に育てていく。

少し間を置いて、彼はこんな例えを口にした。「アンプリファイヤーかな」。カーオーディオを思い浮かべるように、と彼は続ける。
スピーカーがあり、プレーヤーがあり、そこにはもともと音が存在している。「僕はその音を、もっと良くして響かせる存在なのかもしれない」ブランドが持つ歴史、クライアントが抱いている構想、その場に集まる人たちの熱量。すでにそこにある数々の魅力を、彼は見つけ、より遠くまで、より多くの人へ届くよう増幅する。
「僕のアイデアでも、クライアントのアイデアでも、他の誰かのアイデアでもいい。それをもっと良くして届けるのが、僕の仕事なんだと思う」。そう言ったあと、彼は少し嬉しそうに笑った。
「この肩書きにたどり着くまで、15年くらいかかったよ(笑)」

「イベントは好きじゃない」。取材の冒頭で聞いたそのひと言が、最後になってようやく腑に落ちた。彼が本当につくりたかったのはイベントではなかった。人が集まる理由、文化が育つきっかけをつくり、そしてその魅力をもっと遠くまで響かせること。
新宿伊勢丹の立体駐車場で流れていた、あの心地よい空気。Lukeは、あの空気をゼロから生み出したわけではない。ブランドの歴史も、人の思いも、そこにあった魅力を、少しだけ大きな音にして響かせた。
だから彼は、自らを“アンプリファイヤー”と呼ぶのだ。それこそが、20年間、日本のクルマ文化と向き合い続けてきた彼自身に、もっともふさわしい肩書きなのだと感じた。








